GALLERIES

痛み、苦しみ、そして希望へ 「闘うギャラリー」ニューゼロアートスペース

Myanmar

ミャンマー最大都市ヤンゴンの中心部にある雑居ビルの一角に、絵画やオブジェがずらりと並ぶ部屋がある。週末の夜、扉の外まで溢れかえった人達の議論する声が、暗い階段にぐわんぐわんと響き渡っていた。その様子を見守るのは、ミャンマーアート界を命を懸けて率いてきたこのギャラリーの主宰者、エーコー。ここは、長く続いた軍事政権下で表現の自由を求め続けた闘うギャラリー、ニューゼロアートスペースだ。

  • ニューゼロアートスペースの入り口

  • 週末の展示会ではベテランも若手もワイングラスを片手に意見を交換しあう

厳しい検閲、そして空白の時代

ミャンマーでは、絵画販売などの商業活動を中心とするギャラリーが多くを占めている。そんな中、ニューゼロアートスペースは利益を目的とせず、後進の育成に力を注ぐ。

活動の原点は前身となるモダンアート90にある。モダンアート90は1990年、民主化運動で多くの血が流れるヤンゴンで結成。結成当初からギャラリーとしてではなく、特定の活動場所を持たないアーティストのグループだった。しかし、軍事政権の弾圧で美術界には暗雲が立ち込めていた。政府による検閲は、闇を示す黒、軍のシンボルカラーである緑、革命の色である赤を厳しく規制した。アーティストの鬱憤は溜まっていき、多数のアーティストが民主化の闘士として民主化運動に参戦することになる。1990年には、エーコーも投獄。動乱のさなかでリーダーを失ったモダンアート90は活動停止に追い込まれてしまった。

  • ニューゼロアートスペースを率いるエーコー

「ニューゼロアートグループ」としての再出発

1993年のエーコーの釈放と共にモダンアート90は活動再開を試みた。しかしアーティストたちは厳しい獄中での生活に心身ともに疲弊し、家族や自分の生活を立て直すことが精いっぱいだった。再起を図ったのは2000年のこと。「ニューゼロアートグループ」と改名し、なんとか活動再開にこぎつけることができた。「ニューは新しいアイディアやアーティストを生み出したいという意味、ゼロは無でもあり、無限でもあるという意味。1はただの1だけど、ゼロを付けたら10にも100にもなるでしょう」とエーコーは静かに語る。

なおも続く検閲の下で周囲のギャラリーオーナーやアーティストたちが先鋭的な活動を怖れる中、ニューゼロアートグループは果敢にも海外とミャンマーのアーティストの交流を目的としたワークショップをヤンゴンで開催。海外の自由なアート表現から学び、熱い議論を交わした。こうして軍事政権下のミャンマーアートの道を切り開いていったのだ。

自由な表現の場「ニューゼロアートスペース」誕生

それでも厳しい検閲下での活動は決して自由とは言い難かった。エーコーは「検閲を気にせずアーティスト同士が自由に意見を交換し、表現できる場所が必要だ」と考えた。周囲からは懸念の声が漏れる中、後進のアーティストの要望も受け2008年、アーティストの活動拠点としてニューゼロアートスペースが誕生した。エーコーは「大きな展覧会を開くようなギャラリーのようなたいそうな場所じゃなくて、ほんの小さな私利私欲のないスペースだ。誰でも自由に来て学んでほしい」と力を込める。

現在は国際的に活躍できる若手を育成することに力を注ぐ。定期的に海外アーティストを呼び、共同で展示会を開く。先日、韓国人アーティストを呼んで行われた「フェミコロジー・イン・ミャンマー」は、フェミニズムとエコロジーをテーマにしたイベントだ。海外アーティストとミャンマー人アーティストのオブジェは、性差別や環境問題という現代社会が抱える闇を見る者に訴えかける。アートを通して社会問題に向き合おうという「闘うギャラリー」の精神は闘う相手が政府でなくなった今も、変わらない。

毎週金曜日の夕方は誰でも参加できるアート教室を開催している。集うのは駆け出しのデザイナーから会社員まで様々だ。また、ギャラリーは一般にも公開されているので、イベントが行われていない日には、エーコーや他のアーティストの現代画が展示されている。

  • 軍事政権時代から古本屋でかき集めた本がズラリ。自由に本を借りられる小さな図書館でもある

「ニューゼロアートスペースは私にとっての原点の場所よ」。
そう語るアーティストのパンダ(29)は幼い頃から絵をかくのが大好きだった。しかしアートの勉強をする機会に恵まれず、本格的な勉強を始めたのは25歳の時、ニューゼロアートスペースでだった。

  • アーティストとして活躍中のパンダ

  • 子供向けアート教室で作られた作品は販売され、売り上げは全てアート教室の運営に回される

こうして痛みと苦しみの過去を乗り越え、ニューゼロアートスペースは今もミャンマーのアートをけん引し続けている。この思いは雑居ビルの一角で次世代に受け継がれ、新たな情熱となって世界に飛び出そうとしている。

文責: Mizuki Kobayashi