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お知らせ/コラム

なぜメコンの現代アートが必要か – 現代における アーティスト / 弁護士 の役割とは –


アウラ現代藝術振興財団の創業者の藪本です。One Asia Lawyers 1 の創業者(私自身は弁護士ではありません。)でもありますが、なぜ「メコンの現代アート」を支援するのか、なぜ「Aura Mekong Art Project」を実行するのか、地方の現代美術館、ワイナリー等の支援を行うのか、その答えの一端をご紹介致します。
1. One Asia Lawyersウェブサイト  https://oneasia.legal/

平和とは何か

 子供の頃の記憶。熊野古道 2・故郷の牛馬童子像前の山林を抜ける。木々の隙間から溢れる光がどんどん強くなる。森を抜けると、そこには歌川広重が描いたような静謐で美しい田園風景が広がる。温かい光と静謐な大自然に包まれる瞬間、この穏やかな状態を平和というのだろうか。

2. 熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。熊野参詣道ともよばれる。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。2004年に世界文化遺産に登録。

出典元:訪日. Com 熊野古道

 
 広重の作品の中でも、とりわけ東海道五十三次を愛してやまないのだが、現在の三重(四日市宿)〜滋賀(水口宿)の風景、自然の中で生き生きと生活する人々の様子が特に好きだ。水口宿といえば瓢箪を干す農村の人達が有名だが、「瓢箪」といえばラオスの地、その民族寓話を思い出す。
 その寓話によると、全て人間、動物、植物等は瓢箪から出てきたらしい。生命に上も下もないということであろうか。ラオスに到着すると、いつもなぜか落ち着いた気分になる。「田舎」の市井の人々、水牛、犬、その全てが情緒的で穏やかだ。ただ、近年、ラオスの首都ヴィエンチャンの都市化には辟易する。高層ビルが建設され、その平穏が破壊されつつある。

出典元:アダチ版画

 
 創業の地カンボジア・プノンペンと関わって、約十年の月日が経った。二人の娘は、プノンペンで生まれた。娘たちとの穏やかな関わり合いこそが最大の「平和」だ。娘たちにどんな世界を残すべきか、思索する日々が続く。
 グローバル化の進展か、首都プノンペンは気づけばいわゆる「都会」になってしまっていた。プノンペンの人々は無機質で、中途半端に経済的に豊かな人達になりつつあるのではないか。

出典元:Khmer Times

 
 現代のグローバル化における競争原理と、静謐で豊かなアジアの自然環境、そして穏やかで情緒的なアジアの人々の共存は可能だと確信している。

 ベンヤミン 3「Aura」という言葉を「機械的複製によって芸術作品のコピーを大量生産できる時代において、オリジナルの作品から失われるいまここにのみ存在している根拠」と定義するが、私達のAura Mekong Art Projectは、メコン地域にある人間的な「いまここにしかないもの」を現代に残す運動だ。そのような運動に加え、都市エリートの代表格である弁護士の改革が必要と考えている。

3.  ヴァルターベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjami)。ドイツの哲学者、批評家「パサージュ論」等が有名。 

弁護士とは

平和の実現のために、法の世界に飛び込んだ。だが、今では、法律や弁護士が紛争のない世界をつくっていく存在であるかわからなくなってしまった。

 ある時、ミャンマーで合弁契約に関する代理交渉をしていた。「なぜ俺とお前の関係性でこんなものが必要なんだ」、交渉相手は、用意した数十ページの合弁契約書を私の目の前で投げ捨てた。将来、疑義が生じる可能性がある事項を網羅的かつ詳細に契約に明示するのが国際取引のグローバルスタンダードだ。現代社会において、もしこのような契約に応じられないのであればグローバルなビジネスに関わる資格はない。ただ、このミャンマー人の姿勢に共感させられてしまった。信頼を重要視しない契約などありうるのか、心の伴わない取引は逆に紛争を生じさせるのではないか。

 現代の取引をみていると、あまりにもヴィジョンがないがしろにされている。契約の相手方の選定には「権威のある第三者」が作成した与信調査報告書や肩書、資金力といった外面ばかりが問題になる。この取引によって将来何を残すのか、といった議論がなされている痕跡がない。ヴィジョンなくして、どうやって長期的な関係を築くというのだろうか。そもそも、長期的な関係を築くことを想定していない、そんな世界は嫌だ。

 言葉や契約は人々の生活を良くするためのフラットなツールだったはずだ。しかし実際、法律用語はただただ難解であり、人々の生活を良くすることとはかけ離れていないか。今、比較的報酬が高い仕事とは、難解な言葉を駆使して、会社の代表者や取締役の責任を免責させるため、第三者としての意見を述べる、といった仕事だ。社会のためではなく、そのような代表者等を守ることが業務の目的になっている。弁護士の客観的な意見に基づいて、主体的な当事者が不在のまま、ものごとが推進される。

 近代社会において、特に先進国の都市エリート達は技術・能力のさらなる向上に拘泥している。ただ、技術能力を磨けば磨くほど合理的、保守的、否定的、客観的、批評的になり、全体の中で部分に特化した人材になってしまう。

 他方、メコンの人々はときに非合理的、非効率的だが、極めて共感的で主体的だ。何かブレない軸、小さいながらも確固たる哲学がある。例えば、プノンペンのレストランで食事をしていたときに、暑くて子供が泣いてしまった。すると、レストランの店員はなんでもない事のように、親よりも早く子供を抱き上げ、あっという間になだめてしまった。そうだ、一歩目がやたらと早い。自分の軸があるから主体的にすぐに動けるのだ。

出典元:Khmer Surin


ひとつになるとは -天心、珠光、サムナン-

 ところで、「One(ひとつになる)」とはどのような意味か。私達のOne Asia Lawyersという商号は岡倉天心の「東洋の理想」から着想を得ている。



東洋の理想の冒頭
「アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は二つの強大な文明、すなわち孔子の共同社会主義をもつ中国文明とヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分かっている。しかしこの雪を頂く障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである」


 
 中国文明(A)とインド文明(B)の相違を認めた上で「普遍的な愛」というヴィジョンがあれば、Aでもあり、Bでもあり、Cでもある共存状態(中国文明でも、インド文明でもある状態)が構築できる。

 
 また心の文とは、侘び茶の始祖・村田珠光が弟子古市澄胤に送った文書である。澄胤は淋汗茶湯という派手な寄合で有名だったが、珠光は澄胤の慢心を見抜き、それをたしなめ、茶に対してはじめて道という言葉を使い「茶道」が始まった。珠光は「 和漢この境を紛らわす」という言葉を残した。茶道においては唐物と和物の茶道具を融和させることが重要である、即ち、異なるものを統合するためには道(ヴィジョン)が必須だと述べている。

出典:「茶の湯 こころと美」

 
 茶の道を発展させる原動力となったのは侍である。道を実現するかれらは、武士でもあり、茶人でもあり、その両方でもあった。江戸時代において士農工商の「士(侍)」が上位の地位たりえたのは、社会全体を踏まえたグランドデザインを構築する役割を担っていたからだ。

 弁護士の「士」は侍の意味である。その全体構想を描くためには、技術・能力だけでなく、他者を巻き込む力、すなわちヴィジョンや美意識が必須であり、弁護士は法律家でもあり、アーティストたる必要がある。

出典元:メコン現代美術振興財団「カンボジア 現代アート概説」

 アートを駆使し、社会を動かす現代アーティストがカンボジアにいる。「アートは一種類の言語よりもずっと多様な人々にメッセージを伝えることができる特殊な言葉だ、美しく描けるという技術能力だけでは不十分で、それを通して何を訴えたいのか、という知性が欠かせない」とサムナンはいう。サムナンは写真、映像等を駆使して社会的メッセージ性の強い作品を創作し、ドクメンタなどの国際展にも出展し、活躍の場を広げている。カンボジアのネガティブな歴史が与えるイメージと異なり、彼の本質はポップで、ユーモラスで、ドライで、現実的だ。どこか軽快だが、そこにある途方もない憤りや悲しみをエンタメという普遍的なものに再構築している。

 彼の作品に共通するのは圧倒的な現場主義だ。コッコンの少数民族の村に1年間住み込んだり、歴史的建造物であるホワイトビルディングの解体時には何度も通い、現場のエッセンスを徹底的に抽出する。その重要な示唆はローカルの歴史文化を掘り起こし、徹底的に突き詰め、そのエッセンスを抽出し、新しい価値として普遍化していることだ。幸か不幸か、現時点でのカンボジア国内の現代アートマーケットはゼロと言っても過言ではない。彼の作品は生まれながらグローバルな世界で戦うことを宿命づけられている。逆に、日本のアーティストはどうか。日本国内のマーケットに向けて欧米のタイムマシーン的な創作をしていないか。国内で成功したとしても、全世界に向けた輸出に耐えうる新しい価値を創出しているか。これはアートの世界のみならず、法律家やビジネスマンについても生じる問いではないだろうか。

 言葉や法律は便利だ。しかし、欧米で生まれた法律というツールをアジア風にローカライズしても本質的な価値は生み出せない、ただの劣化版になるだけだ。珠光が和漢の境を紛らかすといったように、現代のグローバルな社会から学び、そして離れ、新たなグローカルな価値をつくりだす。きっとこれが「そこにしかない文化の維持発展」と「経済合理性」の共存、即ち、現代社会における平和を実現するための唯一の方法であると確信し、アーティスト/弁護士がその中核を担う存在となることを心から期待したい。

一般財団法人 アウラ現代藝術振興財団 代表 藪本雄登


なぜメコンの現代アートか – 社会的意義とその魅力 –